「1192年に鎌倉幕府が成立」「794年に平安京遷都」──日本史の授業で当たり前のように登場する 西暦 。でも、当時の日本人はそんな数字を使っていたわけではありません。
この“違和感”に気づいたあなたは、歴史の本質に一歩近づいています。
当時は西暦なんて使っていなかった
まず大前提として、西暦は後付けです。
たとえば「1192年」は、当時の元号で言えば「建久3年」。
源頼朝が征夷大将軍に任命されたのは「建久3年7月12日(旧暦)」であり、現代の暦に換算すると「1192年8月21日」になります。
つまり、当時の人々は西暦を使っていない。
西暦は、後世の研究者や教育者が、世界史との整合性や年表の統一のために使っているものなのです。
なぜ西暦で語られるようになったのか?
1. 国際標準としての利便性
西暦は世界共通の暦。
明治6年(1873年)に日本が太陽暦(グレゴリオ暦)を導入して以降、国際社会との整合性が求められる場面では西暦が使われるようになりました。
2. 元号の複雑さ
和暦は元号が変わるたびに年数の換算が必要。
たとえば「慶応4年」は「明治元年」と同じ年。
こうした複雑さを避けるため、教育や研究では西暦の方が扱いやすいのです。
3. 教育の語呂合わせ文化
「いい国(1192)つくろう鎌倉幕府」などの語呂合わせは、昭和期の教科書で広まりました。
これは記憶の補助として西暦が使われた一例であり、元号よりも数字のインパクトが強かったためです。
和暦と西暦、どちらが正しいの?
どちらも「正しい」です。
ただし、使われる目的が違うだけ。
用途 | 和暦 | 西暦 |
---|---|---|
当時の記録 | ✅ | ❌(使われていない) |
現代の教育・研究 | 🔄 換算が必要 | ✅ 扱いやすい |
国際的な比較 | ❌ | ✅ |
まとめ
日本史の 西暦 表記は、歴史を現代人にわかりやすく伝えるための“翻訳”です。
当時の人々が使っていた和暦を、現代の暦に置き換えることで、私たちは歴史の流れをよりスムーズに理解できるようになっています。
でも、元号の持つ文化的・政治的な意味も忘れてはいけません。
西暦と和暦、両方を知ることで、歴史の奥行きがぐっと深まるのです。
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