移動中、ふと気づいたことがあります。
国道 には「○○県に入りました」という県境案内がある。
でも、鉄道にはそれがない。
この違い、なんとなく不思議じゃありませんか?
今回はこの“違和感”を、共感設計の視点から紐解いてみます。
国道に県境案内がある理由
国道を走っていると、県境に差し掛かるタイミングで「○○県へようこそ」という標識が現れます。これは単なる案内以上に、運転者の現在地把握や行政区分の切り替えを知らせる役割があります。
・速度制限や道路管理者が変わる可能性がある
・緊急通報時の管轄が変わる
・観光・地域PRの意味も含まれる
つまり、運転者が“自分で判断する”必要がある場面が多いため、県境の明示が重要になるのです。
鉄道に県境案内がない理由
一方、鉄道では県境を越えても、特に案内はありません。なぜでしょうか?
・乗客は「路線」で移動しており、県境を意識する必要がない
・運行管理は鉄道会社単位で一貫しているため、県境でルールが変わらない
・駅が県境にあるケースが少なく、物理的に案内しづらい
・トンネルや橋で越えることが多く、視覚的な演出が難しい
つまり、鉄道は“目的地重視”の移動設計であり、現在地の細かい把握は不要とされているのです。
この違いは「移動の共感設計」の差
国道は「自分で運転し、判断する」移動。
鉄道は「乗っていれば目的地に着く」移動。
この違いが、県境案内の有無に表れているのではないでしょうか。
共感設計の言葉で言えば、「能動的な移動」か「受動的な移動」かの違いです。
もし鉄道にも県境案内があったら?
たとえば、車内ディスプレイに「○○県に入りました」と表示されたら──
それは単なる情報ではなく、旅の感覚を強める演出になるかもしれません。
観光列車や長距離特急では、県境通過をアナウンスする例もあります。
つまり、“移動の物語性”を高めるための演出として、県境案内は使えるのです。
まとめ
「 国道 にはあるのに、鉄道にはない」
この違和感は、単なる標識の話ではなく、移動体験の設計思想の違いを映し出しています。
違和感を言語化することで、見えない設計の意図が浮かび上がる。
それは、共感設計や情報設計においても大切な視点です。
次に県境を越えるとき、ちょっとだけその“設計の裏側”を思い出してみてください。
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